2019.08.06(火)
2019.08.06 Tue
広島に原爆が投下されてからきょうで74年が経ちました。
実は私の父は広島市出身で、私はいわゆる「被爆3世」です。近い親戚の中では、祖父母と伯父の3人が被爆者でした。
子どもの頃、広島へ行くたびに74年前のきょうのことをよく話してくれました。原爆を間接的にしか知らない私たちは「原爆」と言いますが、3人は原爆のことを「ピカ」、「ピカドン」と呼んでいました。8月6日のよく晴れた朝、まぶしい光が「ピカッ」と出現し、「ドン」と鳴ったその瞬間からいままで続く悲劇。その光と音を感じたひとでしか語れない生々しい体験が、その呼び名に表れます。3人の中で「ピカ」と呼ぶ最後の人物だった伯父が、去年亡くなりました。悲しく寂しい、だけでなく、原爆のことを学ばせたい私の娘にとってその体験を直接聞く機会が大きく失われたことにもなります。
一方、東日本大震災からは間もなく8年5ヶ月が経とうとしています。いまでこそ震災を知る人はまだ多くいますが、70年後はどうでしょうか。写真や動画、証言などの記録資料はたくさんあり、過去の出来事について学ぶ場は戦時と比べて充実していると言えます。しかし、そのことを体験した人の思いは、語る声や眼差し、仕草など、そこからしか伝わらないものがあることも確かです。そうしたものは後世に残せるのでしょうか。
被爆した方々を思い、そして震災を思う。それがいまの私にとってのきょうです。